トキワ荘マンガミュージアム整備-「聖地」復活へ・上

 ◇現行法規をクリアし「木造」建築再現
 東京都豊島区の「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」が9月7日で開館から2カ月を迎える。漫画界の巨匠・手塚治虫をはじめ、多くの漫画家が青春時代を過ごした伝説のアパートが、約40年の時を経てよみがえった。東京・豊島区、丹青社、渡邊建設の3者が挑んだ再現事業に迫る。(編集部・小堀太暉)
 トキワ荘はかつて椎名町(現南長崎)にあった木造アパート。手塚治虫をはじめ、漫画史に名を残した多くの漫画家が暮らしたことから「マンガの聖地」と言われる。建物は老朽化を理由に1982年解体された。再現事業で区は南長崎花咲公園(南長崎3の9の22)に建物を再現した。
 トキワ荘跡地での再現はかなわなかったが、区文化商工部文化観光課の熊谷崇之トキワ荘マンガミュージアム担当課長は「住宅街の中ではなく公園に整備できたことで、多くの方に集まりやすくなったのではないか」と話す。
 事業のきっかけは1999年。4000人を超える地元住民から記念館の建設を要望する陳情が区議会に提出された。区の財政状況もあり早期の実現には至らなかった。その後もトキワ荘復元を求める声が途切れることはなく、区は2016年に文化政策の集大成として施設の整備を決定。東京五輪・パラリンピックが予定されていた20年の完成を目指し、事業を始動した。
 整備に当たっては全国から981件、総額4・2億円(8月18日時点)もの寄付が集まった。特に地元からの寄付が多く、熊谷課長は「地域の大事な文化であることを実感した」と語る。
 整備を決定する前、建物のイメージを明確にするため、区は15年度から1年をかけて基礎調査を実施した。トキワ荘について書かれた文献や写真を詳しく調査し、外観の特徴や間取りなどを把握。居室の雰囲気を忠実に再現するため、杉並アニメーションミュージアム館長の鈴木伸一さんや漫画家の水野英子さんら当時の住人への聞き取り調査も実施した。区は調査結果を踏まえ、16年に整備計画を策定。調査と設計を担当した丹青社デザインセンターの加藤剛クリエイティブディレクターによると「新たな資料が発見されれば、建設中に設計を変更することもあった」といい、設計が完了するまで多くの苦労を乗り越えた。
 施設は来館者が見学する「再現棟」、事務所などが入る「付属棟」で構成する。再現棟は2階に当時の漫画家の居室を再現、展示室などを1階に配置した。施工を担当した渡邊建設の佐藤尚之副工事長が「2階と1階のギャップが売りの一つ」と話すように、一つの建物で懐かしさと未来が感じられる空間となっている。
 「復元建物ではなく、漫画文化を発信していく施設を目指した」と加藤氏。1階部分も再現施設にする案もあったが、地域や区が情報を発信できる場を用意することを優先した。
 建設地の南長崎地区は区の防火規制区域に指定されており、施設は耐火建築物にする必要があった。加藤氏は「現行法規をクリアしながら、木造建築のトキワ荘を再現するのに苦労した」と振り返る。木造アパートを忠実に再現するため、建物の躯体を鉄骨で建設した後、内側にもう1枚壁を設けて室内を設置する手法を採用した。
 排煙設備などを免除するための工夫にも知恵を絞った。漫画家の再現部屋の天井には木材が使用できないため、実物の天井板を撮影し写真を不燃クロス材にプリント。エイジング処理を施し竿縁天井の姿を表現した。食器や小道具といった調度品も可能な限り当時のものを調達。手に入らないものは作成するなど徹底的にこだわった。

(様より引用)